ポルシェ スピードスターの歴史と歴代スピードスター
『Open-top driving pleasure combined with outstanding driving dynamics』つまりは、『素晴らしいドライビングダイナミクスを兼ね備えた、走る喜びを感じられるオープンカー』であるスピードスターは、1952年からポルシェの歴史として存在している…と、いう文章から始まり、スピードスターの歴史が紹介されていました。
991型、最新のスピードスターコンセプトが発表され、それから数か月がたち…最近になって、量産モデルについての詳細情報が出てきたと思ったら、一気にコンフィギュレーターまで使えるようになってしまって、もうここ数日は、寝ても覚めてもスピードスターのことばかり考えている私。
…とは、言いすぎですが(笑)、せっかくスピードスターの歴史がわかるのであれば、それは知っておこうと思ったので、今回はスピードスターの歴史について学んでみたいと思います。
では、ここからはスピードスターの歴史を見ていきたいと思います^^ ↓
すべてのモデルの始まりは、356アメリカロードスター
356アメリカロードスターのアルミニウムボディは、ドイツのアッパー・プファルツ州Weiden近くのUllersrichtにある、Erich Heuer Karosseriefabrikにて、手作業で製造された。
高価な軽量ボディは、356クーペよりも160Kg軽く、70PSの4気筒ボクサーエンジンで、最高速度が180km/h、これはこの時代において物凄いことであった。
米国市場向けに開発され、16台しか製造されなかったこのスポーツカーは、すでにスピードスターとしてのキーとなる要素であるドア用のスロットイン・ウィンドウ、折りたたみ式のレインカバートップ、そして軽量化されたバケットシートを備えていた。
アメリカでもポルシェが売れると説得したのは、アメリカのインポーターの、マックス・ホフマン (Max Hoffmann)氏。彼は3,000ドル以下に価格を押さえた、安いポルシェを作るようリクエストした。
356 Speedster, model year 1954
1954年秋、ポルシェは356アメリカロードスターよりも、かなり安いバージョンの車を製造。それはモデル名に初めて「スピードスター」の名を含んでおり、すぐにモータースポーツの世界にセンセーションを起こした。
傾斜のあるフロントガラス、簡素化されたインテリア内装とレイントップを鋼板のボディのカブリオレに組み合わせてあった。
アメリカでは、356 1500スピードスターはたったの2,995ドルで、天気のよい沿岸部の州では、一瞬のうちにヒットした車となった。
ハリウッドを代表する有名人であったジェームスディーンも、非常に熱狂的なレースドライバーであり、この純粋にドライバーの走る喜びだけにささげられたモデルを選んだ。
さらに356の次なる世代は続く
1957年に、356 A 1500 GSカレラGTスピードスターモデルは、そのピークを迎える。1.5リットルの垂直シャフトエンジンは110PSを誇った。これは、ポルシェが生産したモデルで、初めて最高時速200km/hを記録したモデルとなる。
1988年には、生産が中止されたGモデルのハイライトとして、911シリーズにてスピードスターのモデルが発表。
すべての911モデルの中で、最もオープンとなっているのはワイドなターボルックの911カレラ、231PSがベースとなっている911モデル。より引き締まったボディのモデルも、オプションとして輸入市場では存在しており、161台のより引き締まったカレラボディのモデルが生産された。
フロントガラスは狭くなり、車両と同じ色に塗装された大きなプラスチックバブル(=今のモデルでいうところのダブルバブル部分)の下に、手動のレイントップ(ルーフ)は手動で格納された。
1987年にフランクフルトのIAAで展示された911スピードスタークラブスポーツのコンセプトカーとは違う、最初の量産モデルのスピードスターが1988年に発売された。
当時、スピードスターの価格は110,000ドル~であった。Gシリーズが生産されて以来、2,103台のスピードスターが生産された。
それは、後継モデルとはまったく正反対のものだった: 1992年と1993年の間に、930台の「引き締まった」964世代911カレラスピードスターが造られ、さらに15台のワイドターボボディのモデルも生産された。
新しいスピードスターモデルのソフトトップメカニズムは、ルーフをより簡単に手動で開閉できるよう改良された。
リアの大きなプラスチック製カバーのロックメカニズムも最適化された。
ビジュアル的なハイライトは、特別な革の内装と、車両と同じ色に塗装された911カレラRSバケットシート。
スピードスターは1993年2月に発売された時には131,500ドルだった。しかし、このスピードスターはエアコンなし、パワーウィンドウなし、さらには最初はエアーバッグもなしとなっていた。
993世代の911をベースとした、911カレラスピードスターは、さらにレア。
2つの種類が存在しており、最初のモデルは1995年にエクスクルーシブデパートメントにより、フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(Ferdinand Alexander Porsche)氏、彼自身の為に開発された。
それはカレラボディをベースとした、グリーンカラーで、17インチのアロイホイール、そしてティプトロニックSトランスミッションであった。
その後、2台目の車両はアメリカの俳優ジェリー・サインフェルド(Jerry Seinfeld)氏の為に製造された。
ポルシェの熱狂的なファンであり、ポルシェの素晴らしいコレクションを所有している彼は、18インチホイールのターボワイド4SボディモデルのシルバースピードスターMT車を手にいれた。
通常の顧客たちは、2010年に発売された997世代モデルの最後のスピードスターモデルがデビューするまで、スピードスターを手にすることはなかった。
Porsche 911 Speedster, model year 2011
2011年にPorsche Exclusive Manufakturの25周年記念を祝って、911スピードスターが発表された。
新しいスピードスターは60㎜低くなり、より傾斜されたフロントガラス、そしてフラットな輪郭のスポーティーな外観の手動開閉ソフトトップ、コンパートメントリッドの特長的なダブルバブル(2つのコブ)が最高の伝統となった。
これにより、後輪駆動の2人乗りボディは44㎜リアの幅が大きくなり、より車を際立たせた。
ポルシェ911スピードスターは、2010年10月初旬にパリ・モーターショーでワールドプレミアとなった。
3.8リッター6気筒ボクサーエンジンは、408PSを誇り、生産台数はたったの356台という限定生産。
ドイツでは、このスピードスターは2010年12月に市場に出始め、販売価格は201,682ユーロだった。
The 911 Speedster concept
2018年、ドイツはZuffenhausenにて、ポルシェの最初の車の登録から70周年を祝う『70 years of Porsche Sports Cars』の場において、911スピードスター・コンセプトカーがワールドプレミアされた。これは、ポルシェがポルシェ自身に贈った最高のバースデープレゼントであった。
ヘリテージバージョンのスピードスターは、ポルシェが356の軽量モデルで最初のレースで成功をおさめた1948年に、フェルディナント・ポルシェ氏が設立した「ポルシェの初期の時代」とのつながりを示している。
その純粋で歴史に忠実なデザインで、911スピードスターコンセプトカーは走る喜びを最大限にし、ポルシェの「ブランドのコア」を明確に表現している。
スピードスターは、GTモデルをベースとした現代における最初のモデルであり、ポルシェのモータースポーツエキスパートによって開発された。
コンセプトカーは、イギリスのグッドウッド、カリフォルニアのRennsportリユニオンVI、そしてパリモーターショーでも披露された。
夢であったこの車は、今、量産モデルバージョンとして、現実のものとなる。
The 911 Speedsterの生産が今、始まった。
と、いうのが今回、ポルシェが書かれていたスピードスターの歴史でした。
それにしても、改めて考えると1つ前の997型の911スピードスターの『限定356台』って、とてつもなく少ない数ですね。
全世界で1,948台と言われている、今回の新型スピードスターでさえ、ここ日本で(他の国でもですが)手にいれるのは相当大変と言われているのに、それが全世界で356台なんて。
もうそのあまりの少なさが、どのくらいのことなのか、今から販売開始&購入希望があるわけではないのに「絶対に買えないし!」って、思わず悲観してしまうくらいです^^。
考えてみたら、まだ、新型ポルシェ992にも会えていないところに、今度は自分の中で、991スピードスターの存在も大きくなってきていて、こう「会いたいのに、まだ会えない苦しさ」みたいのでいっぱい。
…って、ポルシェに関してはいつもホントに恋愛しているような、そういう心情・感情になってばかり。
それでも、やはり、992を想っても、スピードスターを想っても、なんといっても、常に自分のなかに繰り返し戻ってくる想いは…
『自分のポルシェのことが「好きすぎて苦しい」』
なわけですが(笑)!まー、幸せなことです^^