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Porsche: ポルシェ

フェルディナント・ピエヒ氏(1937-2019)について

投稿日:2019年8月28日 更新日:

Ferdinand Piëch (1937-2019)

ポルシェの設立者であるフェルディナント・ポルシェ氏の孫(長女の子供)であるフェルディナント・ピエヒ氏が2019年8月25日に82歳で死去されたということで、現在ポルシェも追悼のメッセージを出されています。

ポルシェ公式リリース:Porsche mourns the death of Ferdinand Piëch

中央がフェルディナント・ポルシェ氏、右がフェルディナント・ピエヒ氏で、左がアレキサンダー・ポルシェ氏。だいたい1949年くらいの写真

今回、このニュースを受け、海外の車サイトの多くも、ピエヒ氏への追悼やピエヒ氏の功績などの記事で埋め尽くされています。

それら記事たちをいくつか見たなかでも、私としてはCarマガジンが掲載していた記事が良かったな、と。

ピエヒ氏がどのような方だったのかが、良く伝わってきたし、このライターさん(記事内で紹介されているGeorg Kacher氏)は、きっと泣きながら、この記事を書かれたのではないかと思えるような、こう、ピエヒ氏に対する彼の想いが伝わってくる文章でした。

英語ですが、英文を読むことが苦痛でない方は、ピエヒ氏を知るには、是非1度読んで欲しいと思えるものです(Google翻訳では伝わらないと思いますので、是非これは英語で)↓

出典:Ferdinand Piëch 1937-2019: profile of a car industry giant

とにかく、マスコミ系が好きではなかったピエヒ氏に、車関係の記者たちが近づいて話を聞くことは、非常に大変なことであったようです。

ちなみに他の記事などを見ても、彼はかなり冷酷な人であったという評価があり、

『フェルディナント・ピエヒは人々の記憶に残り、称賛されるが、”愛される”ことはないであろう、ただ、それ(愛されること)は彼が求めていたことではなかったから』(Ferdinand Piech will be remembered and admired. More than likely, he will not be "loved." But that was never one of his goals.)

と書かれているように、彼の皮肉さ、冷酷さは、それこそ定評があるものであったようです。

が、本当に、そうはいっても、どの記事を見ても、そう言いながらも「ピエヒ氏への愛」を感じる記事が多いのも事実です。

ピエヒ氏は、もともとあまりぺらぺらと話しをするような方でもなかったようで、だいたいにおいて記者への対応などは、長い沈黙の上ににっこり笑いながらの「Yes」または「No」というシンプルなものが多かったと。

ピエヒ氏の広報担当者いわく「ピエヒ氏は秘密主義者であり、彼が何かを話す時には、彼の定めた条件下でのみ語り、また彼は人から出し抜かれるのを大変嫌った」そうです。

ピエヒ氏は、他の企業のトップのような人たちのような行動をとったり、発言をしたりはせず、彼が話す時には使う言葉を丁寧にセレクトし、怒りに燃えているような時でも、大変穏やかに語られたそう…それは、良い言い方をすれば、その言い方はとてもシニカルで、悪い言い方をすれば、とても嫌味っぽく。

失読症であることを公表されていたそうで、それもあってスピーチはあまり得意とするところではなかったようです。

ピエヒ氏は「誰でも間違いを犯す可能性はある」とし、「許せないのは、誰かが同じ間違いを2度犯すこと」。

今回の記事のライターさん、過去40年間で5回のインタビューリクエストを出したそうですが、結局、すべて「やりたくない」で、却下。

ピエヒ氏と近づく為に、ライターがピエヒ氏の妻であるUschi Piëchさんに近づき、ライターの祖母のスペシャルレシピ(最高に美味しいアプリコット・ダンプリンの作り方)を渡し

「このレシピで、是非、ピエヒ氏に作ってあげて下さい!」

と伝えたそうなのですが…

奥様のUrsula Piechさんと、ピエヒ氏

その半年後に、ピエヒ氏から

「(私への)間違ったアプローチ方法だね。アプリコット・ダンプリンじゃなくて、ローストポークの方が良かったのに」

と、皮肉を伝えられたそう。こういったピエヒ氏のユーモアある一面を見せてもらえるようになるだけでも、相当な時間と労力が必要と、書かれていました。

ピエヒ氏から、こういうユーモアある皮肉を言ってもらえるような関係であったことは、記者としてはなかなか凄いことだったのだと思います。

ポルシェ917のワールドプレミア@1969年のジュネーブでのピエヒ氏(右)

ちなみに、ピエヒ氏自身、車の運転に関しても、大変優れたドライバーだったそうです。

アウディの初代クワトロ(ur-quattro)の発表の際に、4輪駆動の凄さを実証しようということで、雪に覆われたオーストリアのフェルン峠を、ピエヒ氏と記者たちが走らせたそうなのですが、いくつかのコーナーのあと、ピエヒ氏の運転する車のテールライトはもう見えなくなってしまったと語られています。

雪の峠道を、後続の車を振り切るほどに走れるなんて、相当かと。

フェルディナント・ポルシェ(右)とポルシェ901のタイプ718/2のエンジンの前で(左がピエヒ氏)

ピエヒ氏の所有車のいくつかをあげると、初代ヴェイロン、アウディR8クーペとスパイダー、キャデラックエスカレード、フェラーリ458、Ducatiバイクなどがあるそうです。

ただし、ポルシェ911はなく、ポルシェの車では、ピエヒ氏が手掛けた車の1つである、オリジナルのポルシェ・ベルクス・スパイダー(Porsche Bergspyder)は所有。キャデラックエスカレードがちょっと意外^^

さらに、彼が所有している車たちは、すべて同じマスターキーで開閉&起動できるようになっているらしいという噂もあるのだとか…。

ピエヒ氏が法人車として個人利用する車の仕様は、だいたいにおいてボディカラーが黒で、内装は彼の好きな色とトリムのコンビネーションでマグノリアレザーでおおわれたもの。

たまにピエヒ氏は「普通のVWゴルフRに見えるけれど、実は500馬力あるゴルフ4Motionを作って」とか、「ショコダ(Škoda)に、めちゃめちゃチューンされたVWエンジンを載せたものを作って」とかの、特別な要求もしていたそうです^^

そして、ピエヒ氏はクーペが好きで、オープンカーは嫌い。

ピエヒ氏は、億万長者であったわけなのですが、それでも、散財するような人ではなかったそうです。

もちろん、車やヨットなどは所有しているものの、普段の生活で贅沢ばかりするような人ではなかったようで、ピエヒ氏のトレードマークであったピンストライプのスーツは、特に彼の為にオーダーメイドで作られたものではなく、トリッカーズの黒の靴もロンドンで普通に購入されたもの。

彼のお気に入りの時計は比較的目立たない、ステンレススチールの青い文字盤のブライトリング。

擦り切れた革のブリーフケースには、大量の黒のモンブランのペンが入っていたとか。

とにかく、冷酷で皮肉で嫌味を言うイメージが大きかったと思われるピエヒ氏ですが、やはり彼が残した功績、またその車へのこだわりなどを称賛する人たちは多く「彼は愛されなかった」と書かれてはいるものの、本当に、どの記事を見ても「彼は愛されていた」と思える気がしました。

では、最後にピエヒ氏が手がけた車たちのいくつかを見て終わりにしたいと思います。

フェルディナント・ピエヒ氏が手がけた代表的な車たち

1. Porsche 917

 

2. Audi Quattro (Ur-Quattro)

 

3. Bugatti Veyron EB 16.4

 

4. Volkswagen Phaeton

ご冥福をお祈りいたします。R.I.P.

その他出典
◆The cars Ferdinand Piëch brought us
◆Former Volkswagen czar Ferdinand Piech dead
◆The Complicated Legacy of Ferdinand Piech
◆The Time When Ferdinand Piech Was Our Man Of the Year
◆The Complicated Legacy of Ferdinand Piech

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