ボクスター開発にはマツダとトヨタが関連していた
いきなりですが、全っ然知りませんでした!
ポルシェが誇るオープンカー、ボクスター。このモデルの開発時に日本のトヨタ自動車が関連していたなんて。
皆さまご存知でした?
ええ~、やっぱりまたしても知らなかったのは私だけ…^^?
ポルシェが売れなかった時代
さてさて、まず時代は1992年のこと。
この1992年というのはポルシェにとって最悪の年だったそうで、この年の全世界でのポルシェ販売台数はたったの15,000台くらい(ちなみに2020年のワールドワイドポルシェ販売台数は272,000台以上)。
この時代は928と968が思ったほど売れず、かつ911も高額であった為にそんなにばんばん売れる車でもなかった、と。
そうそう、この時代にポルシェが販売していたのはこの3種類の車たちだけ。
マツダの成功から2人乗りカブリオレの需要を確認
ここでポルシェは成長の為に何かをしなければならないとなり、その時まずポルシェはマツダのMX-5の成功からそのあとの方針決めの影響を受けたそう。
え、マツダも関連してたの。
北米においてこの時代にマツダのMX-5は大きな成功を収めていた…とのことなのですが、ここで私は「マツダのMX-5?うーん、知らないな?」と思ったわけなのですが、なるほど、このMX-5って、北米では一般的にミアータ(Miata)と呼ばれていたモデルなわけですね←ちょうどこの時代、私は日本にいなかったのでミアータの名前でしか知らなかったのですが、いわゆる!日本でいうところのロードスター。
ミアータ、うん、それなら知ってる!!ロードスター、もちろん知ってる!
というか、いや、実際この頃の北米はミアータだらけという印象があるくらいです。
物凄い人気があったことを覚えています。ミアータ人気は本当に凄かった。
そしてこのめちゃめちゃ流行ったミアータは『2人乗りのオープンカー』であり、この車がヒットしたということは『2人乗りのオープンカー』自体には需要があるということ。
というわけで、そこからポルシェは2人乗りのオープンカーへのニーズを確信し、より手頃な2人乗りオープンモデルを開発するよう動き出したとのことでした。
その結果、1993年の北米モーターショーでボクスターコンセプトが発表され、そのボクスターモデルへの人々の期待はとても高かったわけで。
ポルシェはトヨタ自動車のリーン生産方式/改善を参考に効率アップ
しかしながら、このボクスターコンセプトが生産車として成り立つ為には、ここから今度はまた日本の自動車会社であるトヨタが関連。
トヨタは「リーン生産方式/改善」と呼ばれる生産方式を実践しており、それをポルシェが学んだとのことです。
その時代(1993年)のポルシェCEOであったWendelin Wiedeking (ヴェンデリン・ヴィーデキング)氏がこのトヨタ式生産方法を研究、ドイツの生産プロセスにおける無数の非効率性を理解する為に、沢山のポルシェマネージャーたちと共に来日にしてまでそのトヨタメソッドを学ばれたそうです。
その後すぐにシュトゥットガルトのポルシェ工事にて必要な改革を行う為に、元トヨタ社員で構成された人材とのコンサルタント契約がされたそうで、前述のWendelin Wiedeking氏いわく「ドイツ語も話せない日本人が(工場内を)歩き回っているということは非常にショッキングでした」とのこと。
えーっと、いやいや、頼まれたのはそちらですよね?という気もしますが^^、続けて「彼らはとてもタフで、非常に前向き。まさにそれを私達も望んでいました」とのことで、結果としては元トヨタ社員たちとポルシェは良い相乗効果を生み出し、良い方向に向かっていったようです。
ポルシェからしたら、わけのわからないドイツ語も話すことが出来ない日本人から学ぶということで、最初は彼ら(シュトゥットガルト工場の従業員たち)のエゴが多少傷ついたかもしれないものの、それによりポルシェは生き残れたと言われています。
1996年の終わりには4年ぶりに利益を得ることが出来たとの報告。
いや~、ポルシェボクスター開発の裏には、マツダの成功であったり、トヨタから学ばれた生産方法が関連していると思うと、日本人としては嬉しくなりました。
色々と背景を知ると、またさらに親しみがわいてきますね。
そして、そんなボクスターの誕生25周年を祝って、今年2021年にはボクスター25が販売されました。
ステキなポルシェの2人乗りオープンカーであるボクスターが今もこうして存在してくれていることに、マツダとトヨタにも感謝です^^